企画展「堀越二郎の軌跡」

風立ちぬ」は大体予想どおりの映画のようで、でも覚悟していたほどヒドくもないようなので、そのうち見に行きます。
 
んで、今日は藤岡歴史館へ「堀越二郎の軌跡」を見に行ってきました。

(略)「堀越二郎の軌跡」が群馬県・藤岡歴史館で開催される。同展では、遺族より寄贈された初公開となる資料を中心に約200点が展示され、堀越の人物像や航空機設計の変遷と技術を追う。中でも目玉は、先日、報道された「幻の戦闘機」烈風改の図面だ。(略)

企画展「堀越二郎の軌跡」
【会期】2013年7月13日(土)〜9月8日(日)
【会場】藤岡歴史館(群馬県藤岡市白石1291−1)
【お問い合わせ】0274-22-6999(藤岡歴史館)
【入館料】無料

「歴史人ニュース」より
http://www.rekishijin.jp/rekishijinnews/13-0703-3/
藤岡市公式サイト
http://www.city.fujioka.gunma.jp/kakuka/f_bunkazai/h25_2kikakuten.html

この藤岡歴史館というのがとんでもなく辺鄙な場所で、市の中心部にある群馬藤岡という駅から歩いて1時間10分弱。そもそもその群馬藤岡八高線という非電化ローカル線の駅で、列車本数が少ないから予定が立てづらい。高崎から上信電鉄というローカル私鉄に乗り換えて山名駅から歩く、という手もあるがこちらも本数が少なく、駅から現地まで徒歩で40分はかかる見当だ。また、どちらからアプローチするにも適当なバス路線が無く、徒歩で行かざるを得ない(え? タクシー?)。
思案の末、高崎線倉賀野駅で降りて歩くことにした。イメージ的には遠く感じるが、実際の距離は群馬藤岡から行くのと大差ないのだ。
そして実際倉賀野で降りてみると、なんと「無料レンタル自転車あります」とのこと。どこで貸し出しているのかわかりにくくちょっと探してしまったが(跨線橋を降りたら180度転進)、ともあれ極めて有用だった。これから「堀越二郎の軌跡」を見に行くという人にも勧めたい。途中ハードな上り坂があるが、所要時間はトータルで20分強だ。
さて、企画展「堀越二郎の軌跡」だが、結論からいうと面白かった。スペース自体あまり広くないし、無料にしては充実しているといったところですけどね。烈風改の図面はマァ見てもよくわからないんですが、こういう貴重な資料が発見され、保管され、展示されている(複写ですが)ことが重要といえます。
私の目当ては昭和18年に堀越から糸川英夫に宛てた手紙だったんですが、これの展示は一葉のみで少々残念。ただ……。

ゼロ戦設計の堀越さんからロケットの父糸川さんへの手紙
今夏公開の宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」の主人公のモデルで、ゼロ戦などの設計を手掛けた藤岡市出身の航空技術者、堀越二郎さん(1903〜82年)の都内の自宅から、「日本のロケット開発の父」といわれる糸川英夫さん(12〜99年)に宛てた戦時中の手紙の控えが見つかった。
糸川さんは太田市中島飛行機(現富士重工業)に勤務し、戦闘機設計に携わった経験がある。日本の航空技術を世界水準まで高めた、本県にゆかりのある2人のつながりの一端が明らかになった。
風立ちぬ」の映画公開に合わせ、堀越さんの企画展を準備している藤岡市教委文化財保護課の軽部達也課長補佐は「日本の航空界を引っ張った2人が、ここでつながっていたのかと驚いた。手紙は図入りで説明しており、きちょうめんで研究熱心な堀越氏の性格がうかがえる」とみる。
企画展「堀越二郎の軌跡」は13日から、藤岡歴史館で開かれる。糸川さん宛ての手紙のほか、「幻の戦闘機」と言われた烈風改の設計図など、約200点の史料を展示する。
 
上毛新聞「群馬県のニュース」更新日時:2013年7月2日(火)
http://www.jomo-news.co.jp/ns/2213726907324047/news.html

ロケット開発の父に手紙で助言 新作アニメのモデル堀越さん
宮崎駿監督の新作アニメ「風立ちぬ」のモデルで、零式艦上戦闘機ゼロ戦)を設計した堀越二郎氏(1903〜82年)が、「日本のロケット開発の父」と呼ばれる糸川英夫博士(12〜99年)に航空技術を助言した手紙の写しがこのほど、堀越氏の長男宅=東京都文京区=で見つかった。
手紙のやりとりがあったのは43年。45年の敗戦後に連合国から航空機開発を禁止された“空白期間”を越えて、戦前の日本の航空技術が伝承されたことを示唆する貴重な資料と言えそうだ。
手紙は、高速飛行中の空気の流れが機体や翼の振動を助長し破壊に至る恐れがある「フラッター現象」を図解入りで詳細に解説。
 
西日本新聞 2013年07月07日
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/science/article/24992

これ、双胴形戦闘機の設計について糸川に意見を求められていた堀越からの返信という内容で、形状にしても時期にしても閃電としか考えられないのですが、当時、東京帝国大学助教授だった糸川がどうして閃電を作っている三菱に勤める堀越に意見を求めたのか? かなりのナゾです。ていうか、堀越は直接関わってなかったようですが、閃電に関する社外秘とか軍機とかを外部に漏らしたことになりかねないような…。
 
このほか、私は興味がないのでざっと見ただけですが、戦前に書き残した堀越のゴルフトレーニングメモなどは、いかにも設計技師らしい緻密さで目を引くものでした。
 
30分余のビデオも視聴。どうせ零式の紹介程度だろうと期待していなかったのですが、これ、今回の展示資料の発見の経緯などまで収められた最新映像で実に興味深い内容でした。
特に面白かったのが、堀越二郎のご子息の証言。「起きる前に出かけて寝た後に帰ってきたから思い出という思い出が無い」「勉強を見てくれたがとても厳しくてイヤだった。今思うに飛行機の設計に関われずに鬱屈していて、そのうえ自分の分身であるはずの息子の出来が悪くて苛立っていたのだろう」云々。
あれ? 展示のほうでは戦前戦中の忙しい日々を反省して、戦後は家庭を大事にするサラリーマンとして生きたとか書いてあった気が……。
「唯一の子供時代の思い出は、一度職場に連れていかれたときのこと。会議の間、廊下で待たされていると軍人さんに「坊や、飛行機を近くで見てみるかい?」と言われて飛行機が停めてあるところにまで行った。「操縦席も見てみるかい」と言われて操縦席ものぞき込んだ。「飛んでみようか」と言われたところで不安になって泣き出したら父がやってきた。今思えばあれは試作段階のゼロ戦だったはずで、惜しいことをしたなと思う」…なんてあたりは、光景がちょっと映像的に想像できてしまいます。確証はありませんが、このビデオは所沢の航空発祥記念館でも上映しているんじゃないかな。

館内撮影禁止だったので、堀越二郎の勤務先でありまず間違いなく「風立ちぬ」にも登場している三菱航空機大江工場(旧・三菱重工業名古屋航空機製作所)……によく似た、三菱マテリアル総合研究所(旧・三菱金属鉱業中央研究所)の写真でも貼っておこう。この建物、既に取り壊されて現在は更地になってますザビアロフ。
一度ちょっと調べてみたのですが、「三菱鉱業社史」(1976)p562掲載の写真に「三菱鉱業大宮研究所 当社の設計管理で昭和14年4月竣工」とあるだけで、誰の設計かは不明でした。三菱重工業名古屋航空機製作所のほうはどうなんだろ?