「いかにも昭和らしい」『風立ちぬ』とテーマ曲

中央弘前駅とか攻殻1983とかのエントリを書き上げたり読み返したりしたら、『風立ちぬ』に関してイヤーな仮説が思い浮かんでしまった。
ひょっとしてさぁ、荒井だった頃のユーミンの歌がいいって言ってる人は、そこに感じる「懐かしさ」と、昭和初期の物語にあるべき「懐かしさ」とがもうごっちゃになってるんじゃないの? どちらも同じく「昭和」のものとして受け入れちゃってる。
「それの何が悪い?」と言われりゃ「いえいえどうぞお好きに」と申し上げるまでですが。
ただ、受け手は(どうでも)いいとして、送り手側がそういう意図があるなら、そういう「ノスタルジーをそそる仕掛け」を意図的にやっているのなら、それはやはり非難すべきだ。実在の人物を、それも直接的にあの戦争に関わった人間を映画にするというのに、腹の括り方が十分でないんでないの? これがもし、アドリア海ではポルコ・ロッソが飛び回っている世界の極東での出来事だという設定であるなら、ユーミンだろうがなんだろうが別に気にならないけどさ。