『核エネルギー』というファンタジー

「『核エネルギー』というファンタジー」についての論考ってどこかにないだろうか。近年では『シン・ゴジラ』について「もしも核攻撃を仕掛けていたなら、ゴジラは『核エネルギー』を吸収してより強くなっただろう」的な感想を言う人が多いのが面白くて。

劇中で、ゴジラは死を克服している可能性があるから「核で滅却するか、矢口プランで凍結させるしか…方法はない」(=不死身だろうと核兵器なら跡形なく消せる)とも「熱核兵器の直撃、数百万度の熱量に耐えられる生物はいない。確実に駆逐するなら核攻撃は正しい選択だ」とも言っているのに。

「熱核兵器の直撃に耐えられる生物はいない」ではなく、わざわざ「数百万度の熱量」と、熱エネルギーが破壊の本質だと念押ししている。にもかかわらずそれを「核エネルギー」という神秘の力だと捉えた観客が少なくないのが面白い。

無論、文芸的には「牧・元教授は、核兵器の使用を選択したなら事態がより悪化するように仕組んでいた」とも解釈できる。けれども劇中の人物は誰一人そのリスクに触れていない。不死身だ個体増殖だ飛翔だ、荒ぶる神だとまで言われても「核攻撃では倒せない可能性」への言及は皆無で…。つまり「劇中のルール」では(ゴジラの体に都合良くスクラムに相当する機能があるのと同じくらいに)「核攻撃でも倒せた」。それが観客の視点では「『核エネルギー』を吸収して更に強くなったかも」となる。この齟齬さえ作り手が仕掛けたものであるなら、それもまた面白い。

何を突然こんな話かというと、今朝TLに ガンダムSEED の話題が流れてきて、フリーダムガンダムジャスティスガンダムが「当時のSEED最強核エネルギー搭載機体」だというので「そういやNJC搭載MSって何でどうやって動いてるか分からんなぁ」と思い出した次第。

SEED世界のMSは電童もとい電動だからフリーダムガンダムには一般的なMSの蓄電池に代えて、NJCと核分裂炉と発電装置が搭載されていると捉えるのが妥当なんだけども、そこらへんすっ飛ばして「『核エネルギー』搭載機体」と呼ばれてしまう。この「核エネルギー」もまたファンタジーのそれだなぁ、と。

鉄腕アトム原子力モーターはホントに謎動力だから良いとして、今川版ジャイアントロボエヴァンゲリオンのジェットアローンのような「原子炉を持つこと」が重要な意味を持つ話ですら「核分裂のエネルギーをどう運動に変換しているのか」の設定は詰められていないのではないか。

日本のマンガ・アニメだけでなく、バットマン映画の『ダークナイト ライジング』の核融合炉もフワッとした設定の「超パワフルだが超破壊力の爆弾にもなる超キケンな謎エネルギー源」扱いで、(核エネルギーのファンタジーは東西を問わないのだろうか?)と思った記憶。