『未完の計画機2』

個人的に土曜にフラゲしたけど正式な発売日は昨日の『未完の計画機2』。

未完の計画機 2 (VTOL機の墓標)

未完の計画機 2 (VTOL機の墓標)

副題に「VTOL機の墓標」とあるわけですが、狭義VTOLの計画機をおおむね網羅するだけでなく、たいていはヘリコプターに分類されるAH-56シャイアンなどの複合ヘリコプターや、固定翼の無いフライングプラットフォーム、何故かXF5Uフライングパンケーキ(向かい風があれば滑走無しで離陸/離艦可能だそうな)に、果てはロケットブースターを使ったゼロ距離射出(ZEEL)まで網羅している(なのにBa349ナッターを取り上げていないのが謎)。実にバラエティ豊かで、技術解説などにはいささか専門的で難しい部分があるものの、読んでいて飽きない。

それにしても意外なのは、「実験機としては成功したが、その結果『無用』とされて実用化の道は絶たれた」というパターンの多さだ。テイルシッター型VTOLなんて今の感覚では「そりゃまあ無理だろ」としか言えないが、ライアンX-13などは成功したほうだという。ピクシブニコニコ大百科では変に揶揄されている(たぶん編集者は同じ)フェアリー・ロートダイン(ニコニコ大百科)も、騒音さえ何とかすれば何とかなったんじゃないの? と思える。

XC-142も成功作ではあった。その解説はこう締めくくられている。

けっきょくのところVTOLはどの方式でも最終的には力技にならざるを得ず、輸送機関としては効率が悪いものなのだ。

なるほどそういうものだろう。VTOLの根本的な難しさがうかがえる。

だが、であるなら何故V-22オスプレイ)とハリアーだけは成功したのか? という疑問が生じるのである。両機にも他のVTOLと同様に根本的な難点があるはずだ。

また、ハリアー関連では、機体ではなくエンジン「ブリストル・シドリー ペガサス」を取り上げて、「えんえんと墓標が連なるVTOL開発史の中の、稀有な成功例」とする。だが、それにもかかわらずJSFはハリアー方式VTOLのX-32ではなく、Yak-38方式のX-35(→F-35B)が採用となったのだ。これをどう捉えるべきなのか。こうした点を含め、良い刺激を受けた一冊だった。

ここからは余談。フライングプラットフォームのうち、所謂「空飛ぶジープ」構想(1956年)に関する記述の中にカーティス・ライト社の名前が見える。
http://www.aviastar.org/helicopters_eng/curtiss_vz-7.php
↑ カーティス・ライトVZ-7APはこんな形の機体。『未完の計画機2』は「この形態は最近注目されているクウォッドコプターのドローン(無人機)と同じだ」と書き、先進性を印象付けている。
このカーティス・ライト社、同時期にいわゆるエアカーも手掛けていた。

http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20121216
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20150723
カーティス・ライト社はつまり「空飛ぶ車」の実現を、回転翼機とACVの両方で目指していたのだ。この点、もっと注目されてよいのではないか?

余談でもうひとつ、以前別件で国会図書館に行った際にたまたま見つけた記事。


航空ファン』1954年3月号掲載、「ソ連の垂直上昇機CZ−2B」。このCZ−2Bは他の書籍雑誌で見ることが無く(『未完の計画機2』にも載っていない)、そもそも実機が存在したのかという疑問があるがそれはさておき注目されるのは…。

MIG-15の新型実験機は、離陸および上昇力を増加するために、投下可能の補助ロケットを使用していると伝えられる。

という部分。つまり、1954年頃にすでに普通の戦闘機に補助ロケットを装備した実験を行っており、その次のステップとして垂直上昇機を構想していたことがわかる。

以前に書いたとおり(http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20120310)1950年代前半はVTOLでなくVTOと呼びならわしていたようで、L=landing=着陸は抜きに離陸だけ垂直(VTO)機構想というのも決して例外的ではなかったのかもしれない。

ただし、『未完の計画機2』には1955年にソ連のZEEL計画が始動したとある。この段階で通常の戦闘機プラス補助ロケットのほうが見込みがあると判断され、垂直上昇機計画は切り捨てられたのだろう。